メディアの隙間から

10数年にわたるPRマン時代の感性をベースに、メディアに日々接する中で感じた??を徒然なるままにつぶやく。2020年末に本当に久しぶりに再開

消えた沖縄

 「しまった」と思った時、飛行機はタクシーウェイを滑走路へと走り出していた。ほぼ満席の沖縄便。窓側に座ったら、3人がけシートの隣2人と前列、後列の3人ずつの計8人が同じグループの若い男たちだった。囲碁で言う「上げ石」にされた格好である。
 案の定8人は騒ぎ出した。こちらは本を読むことも眠ることもできない。3時間近い道中をこれでは困る。静かにしろ、と一喝したいが、相手が多勢の若者では気持ちは端から萎えている。自分の不甲斐なさも腹立たしい。
 よせばいいのに逆療法とばかり話し掛け、予想した通り不愉快になった。……東京の大学生。何とか島にサーフィンに行く。全員が沖縄は3、4回目。南部戦跡? 知らない。行くつもりもない。沖縄戦は聞いたことがある。本土復帰? ウッソォー、沖縄ってずっと日本じゃないの……という予想通りの結果。日米が戦ったことを知らぬ大学生もいる昨今、マシな方か。

 騒々しさには参ったが、不愉快になったのは若者のせいではない。戦争の歴史は大人もろくに知らないのだから、無理はない。今や那覇空港から沖縄本島南部に向かう人は1割もいない。オジサンはビジネス、オバサンはリゾートホテルへまっしぐら。沖縄だけではない。サイパンでは、まだ収集されていない日本兵の遺骨が眠っていることを知ってか知らずか、日本の観光客が戦場跡でゴルフに興じている。
 知らないということほど、情けないこともない。問題は、戦争の悲惨さをきちんと教えない教育にある。中学でも高校でも、歴史の授業は古代や中世にやたらと時間を費やし、大正デモクラシー前後から駆け足になる。おまけに3学期は受験で忙しかったりするから、日中戦争あたりで教え方はおざなりになる。教科書に記述があっても、生徒たちの印象には残らない。
 誰かが意図的に戦争に触れさせまいとしているのではないか、と思えてならない。戦争責任、原爆などで民間人を殺りくした米国の罪、その米国に擦り寄った戦後史……といったテーマを敬遠する人が少なくないからだ。
 歴史から学び取るべきは、第一に平和の大切さだ。とするなら、現在からさかのぼる歴史の授業があってもいい。聖徳太子の偉業や遷都した天皇の名前を覚えるより、戦時下の市民がどのように犠牲にされたかを知ることが重要でないとは、誰にも言えまい。
 戦争を教えないから、犠牲者も粗末に扱われる。日本人の戦死者は軍人・軍属が230万人、民間人が80万人。このうち軍人・軍属は年金などで手厚く遇されているのに、民間人には援護や補償がない。国は民間人の戦死者名簿さえ作成していないのが現実だ。

沖縄戦のすべての戦没者の名を刻む「平和の礎」は、こうした国の姿勢への反発もあって建てられたのだろうが、名前さえ記録しないのは人をモノと考えているせいだろう。その結果、知らず知らずのうちに戦争そのものまで忘れ去るように仕向けられてきた。沖縄の苦難を知らない若者をなじって済む話ではない。
 戦争を忘れていては、確かな平和はやって来ない。侵略された者の痛みも分からず、いつまで経ってもアジアの人々と仲良くなれない。沖縄と本土の溝も埋まらない。沖縄便の機内も、どこか不愉快なままである。