メディアの隙間から

10数年にわたるPRマン時代の感性をベースに、メディアに日々接する中で感じた??を徒然なるままにつぶやく。2020年末に本当に久しぶりに再開

ジャーナリストの視点

 ジャーナリストにはさまざまな資質が求められる。好奇心だったり、そこから派生する研究心だったり、あるいは事象の裏側を見抜く洞察力も重要だし、説得力のあるリズミカルな文章力も必要だ。そして、もうひとつ大事なのが複眼的視点ではないだろうか。今週号のTOKYO HEADLINE(11月10日号)3頁に掲載された木村太郎さんのコラム(ニュースの真髄 No.393)を読んでそう思った。コラムは、カリスマプロデューサー小室哲哉の詐欺事件を取り上げたものである。木村氏は、小室容疑者逮捕を知って、著作権は譲渡できるのか? と疑問に感じたのだという。

 記事の冒頭で木村氏は述べているが、あのかつての時代を代表する神様みたいな存在だった人物が何で詐欺なんかやらかしたのか、と驚いたのではない。それなら、我々市井の凡人と変わらない。木村氏は、詐欺のねたになった著作権を10億円で譲渡する、という点に疑問を持ったのだという。その背景には、著作権は芸術的創作を生み出した当事者が所有するもので、著作権料はその当事者に対して支払われるべきではないのか、との発想がある。彼はこの点を「カラオケや着メロを利用したりコンサートへ行っても料金に含まれる形で著作権料を支払っている。放送でもNHKなら受信料、民放ならCMを出稿する企業の製品代価に含まれる形で支払っている。いずれにせよ、感動した音楽の代価をそれをつくった人とは無関係の人物や団体に支払うことに抵抗を感じないだろうか」と書いている。

 我々にとっては、著作権料をJASRAC日本音楽著作権協会をはじめ、多くの著作権管理団体に支払うのは、すでに当たり前のことになっている。他にもPCやゲームソフトなどにも著作権が存在し、勝手に無料で使うことが出来ないことも知っている。まあ一部のアジアの他の国では、まだこの辺で後進性をぬぐえないところもあるが。それはさておき、著作権の譲渡と聞いて、疑問符をつける発想は、凡人には盲点なんだろうと思う。ちなみに木村氏は、すぐに著作権法をひもといて調べている。その結果、著作権には「著作者人格権」と「財産権」があり、後者は譲渡できるのだという。著作物により金を儲ける権利なのだ。これはアメリカでも同様に認められている。しかしドイツでは人格権と財産権は不可分で、ともに譲渡できないという。今回の事件は、ドイツなら起こらなかったことになる。

 ある事象を見て、その背景や周辺に視点を配ることで、意外な発見がある。あるいは、誰も気付かない疑問を感じる。それをすぐに調べる。新たな事実を発見する。まさに複眼的視点を備えたジャーナリストがそこにいた。だいぶ以前に、私は日本の大マスコミにはジャーナリズムは存在しない、というニュアンスのことを書いた。しかし、それは組織の体質としてのことであって、個々のマスコミ人の中にはジャーナリストを何人も見ることはできる。